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日記・コラム Feed

2008年5月27日 (火)

あやりん暁を覚えず

先週末、熊本での病院受診が金土と続いたので、友達のうちに泊めてもらった~~。
その中のひとこまでございまする。
気持ちよく浅い眠りを楽しんでおりまする。

ついでにその二日間はうたスキも思う存分楽しんだ、あやりんであった。Sleep

2008年4月20日 (日)

週末、熊本にいました。

毎月恒例の腸の診察が土曜日にあったこともあり、それに加えて最近親しくなった熊本のお友達が家に泊まっていいということだったので、お言葉に甘えて泊めてもらうことにした。
金曜日の夕方ごろ出発、19:00時ごろ熊本市に到着。最初はカラオケしようか~ってことだったのだが、どうせなら焼肉しようということだったので、たまにはいいかな~~と。
で、結局もうひとり熊本市のお友達を呼んで、焼肉パーティすることになったのだ。restaurantbeer
楽しい時間過ぎてけっこいろいろとお話できてよかったよ~。こういうのたまにはいいよね~~。

でもでも、あやりん、どうしても何かが足らなかった~~。それって、あのね。やっぱ歌わないと不完全燃焼なのだぁhappy02。でもって、翌日、通院が終わってから、たっぷり熊本のシダックスで歌ったのだ~~karaoke、あ~すっきりした。scissorsnote

2007年10月 1日 (月)

地デジ後プー姫

あやりんの住んでる地方もついに10月から地デジがはじまるじょ~~
ってことで、この前からアンテナ調整を頼んでいたのだが、どうも読売系と朝日系の二局が写りきれんかった。。。もうひとがんばりで写りそうだったので、アンテナを換えてもらい、ケーブル新しいのに変えてもらったら、朝日系なんとか写りました~~。読売系はやっぱ写らんかったけど、まー読売系の地上波アナログが写るようになったからいいか~~。
 それにしても、地デジ、むちゃくちゃきれいですね~~。まるで、その昔のフィルムのCMみたいに「きれいな人はよりきれいに、そうでない人はそれなりに」写りますね~~。それに、データ放送が連動されて、リアルタイムにだれが出てるかっていうのがわかるようになったのはすごくよかったですよ~~。さー今度は自分の部屋にチューナーつけなきゃ~~。。。をを、ひえー、明日(10月1日)からフリー(状態によってはプーともいう)だったんや~~。。。めちゃ大変や~~(・・;

まー一応、9月まで正式所属してた会社からは少々仕事もらえるかもしれないのだが、ちと不安だなぁ。。。
あやりんに仕事頼みたい人。。。一緒に仕事しようよ~~っていうひと。。。よかったら、こえかけてくださいね~~~。。。

2007年8月26日 (日)

夏ばて~~

土曜日は朝は、ピアノ弾いたり、弾き語りしたりと割と絶好調だったのだが、あまりにも、熱中しすぎて、途中でおなかの調子がおかしくて、微熱が出てしまった。それから氷枕で冷やしながら、ほとんど、横になっていました。どうやら夏ばてと、夏に入ってから、いろいろ食べ過ぎたせいで、おなかに炎症がでたのだ。それにしても、なんかお腹の調子、先行きあやしい状態である。気力だけではなんともできない。歯がゆいところである。

2007年7月22日 (日)

嵐を呼ぶあやりん(不在者投票にて)

参議院議員の選挙日、どこにでもいってていいように、今日は参議院議員の選挙の不在者投票に行った。このところ選挙の度に見た目と記載の性別が一致しないため、必ずめんどくさい説明しないといけなかったのだが、今回は何事もなく、投票もすませた。
 いや、実は何事もなかったかのように見えたのだ。
 予定通り、不在者投票を済ませ、不在者投票所から出たと思ったら、次の瞬間、職員さんが慌てて、追っかけてきた~~。何事かと思ったら、投票所入場券がご主人のと間違えたのではありませんか?というのである。むぅぅうぅ。。。本人だい。(ーへー#)。むか!

 毎度のことながら、改名&性別変更する必要があるなぁと思い知らされるのだが、そのまえに、まず役所の、性別で区別しちゃう慣習をなんとかしてほしいのだ。病気もってるとかで、性別、名前の変更がなかなか思うようにできない私のような人もいるのだからね~~。(本気で陳情しようかと思ったよ。事情あってできないけどネ)
(元気なら、すぐタイ行って、SRSして、故郷以外に住めばすぐ名前変えちゃうんだけどね)
まー、職員さんも祝日にでてきて、暇そうにしてたから、いい運動できてよかったんじゃないっすかぁ。

2007年2月19日 (月)

あやりん、最大のピンチ

土曜日、いつものように、クローン病で通っている高野病院にて通院だった。
内科的には、現状維持で問題なかったのだが、少し、おしりの腫れが気になっていたので、外科の先生に診てもらったら、見事に膿がたまっていて、肛門周囲膿瘍の第二期になっていて、一週間抗生物質で様子を見てから、それで改善しなければ、セトン法による最大二週間程度の手術・入院が必要であると、宣告された。
http://handai-cd.hp.infoseek.co.jp/byouki/crongeka/crongeka03.htm
これははっきりいってショックである。これまで、何度もクローン病とその後遺症による痔ろうによって、入院手術を乗り切ってきたとはいえ、今までで一番仕事が順調な職場だっただけに、今回ばかりはショックが大きく。。。
また、仕事最初っからさがさんといけないのだろうか。。。?
果たして引き続きやとってもらえ続けるのだろうか?
などともんもんとした気持ちで
日曜日は座ることもままならず、ずっと横になっていた。
果たして立ち直れるのだろうか・・・。。。。

2006年12月11日 (月)

ほむぺ2007バージョン予告!

さー、としも押し詰まって、いよいよ、もういくつ寝るとお正月~~♪の季節がやってまいりました。その前にクリスマスあるけど、今年も1人の可能性濃厚だぁ~~
でもって、ホームページビルダーの最新版も買ったことだし、あやりんのホムペも2007年バージョンへとリニューアルする予定です・・・。(来年できるだけ早い時期に公開予定・・・といいながら、いつになるかわかりませんが)ご期待ください。

2006年11月13日 (月)

ひとりkaraoke

この年になってとか、今更何をとか思う人も多いのだろうと自分で思う。でも本人はいたって大真面目なのだ。あやりんのホームページなどで以前から語っているように、昔から歌が大好きで、歌手になりたかった時期があった。なぜか。。。それは歌う自分が一番自分らしくて、そして、人と話をすることが大の苦手だった私が、気持ちを表現できる唯一の手段だったからである。それは今でも変わらない。弁舌さえ昔に比べれば別人のように饒舌になったものの、あやりんは今でも、本質は知らない人や初めて話す人とが怖くて人と接する時に大変緊張するのだ。しばらく話して、この人なら安心できると分かったときにようやくうまくしゃべれるようになる。。それはいつも変わらない。。。だが、歌だけは違う。歌を歌うときはなぜか表現者になれるのだ。自分でもなぜかわからない。でも、そうなのだ。
ただ、ここ数年歌うことをあきらめていた。何か燃えるもの、そうモチベーションが出てこなかった。だから、喉がすっかりさび付いていた。昔出ていた声も出なくなっていた。
 そこに彼女(=中村中)が出現した。私と全く同じ感性をもつ彼女が自分の世界を見事なまでに表現している。ずっと心の奥に眠っていた私の本質を呼び起こされたのだ。
 あやりんは、彼女のようにこの年になってから、歌手になれるなんて思っていない。ただ、自分自身を表現して誰かに聞いてもらいたい。だから、自己のサイトでいずれ自ら作った歌を発表してみたい。だから、長い間さび付いた喉のサビを落としにいくのだ。それにしてもひとりkaraokeってのも、たまにはいい。隣近所をきにせずに声を思いっきり出して歌うことができる。多分ひとりkaraoke、のどのサビが落ち切るまでずっと続けるのかもしれない。

アコギ(フォークギター)買ったのら

Agogi最近の中村中の大活躍に刺激されて、ここ10年ほど封印していた、歌いたい、音楽したいという気持ちが再び頭をもたげてきた数週間前、かなり昔からの友人に久々会ったとき、「あやりんの指、ギター弾くのに向いてるよ」といわれてから、ギター弾きたくなって、とうとう、土曜日アコースティックギター(フォークギター) をかったのら。。。思えば学生時代も親戚から一度ギターをもらったことがあり、その時まだ心が幼くて目標のない時代だったこともあって、学ぶ術も知らずなんとなく断念していたのだが、今度は自分のお金出して買ったのでぜひともマスターしたいと思う。今までも下手ながら時々1人でピアノ弾き語りすることがあったが、一人の世界で歌うことはあきた。そろそろ、誰かに歌を聴いてもらいたい。そういう気持ちもあるので、できるだけ早いうちにギターでの簡単な弾き語りができるようになりたいものだ。

2006年10月29日 (日)

ある上司の死

 つい先日、私が勤める会社の上司の葬式があった。
 私の直接の上司ではなかったが、私が入った2~3年前はとっても厳しい方で、連日、夜遅く、皆が帰るまでがんばるようなそういう、いわゆる企業戦士のような方のように私の目には映っていた。どういう病気かは、詳しくはきいていなかったのだが、集団検診で病気が見つかり手術されて、一時期は回復されたのだが、今年の秋に入ってから見る見る頬がこけてきていたので、心配していた。私の地域は今年大水害があり、相当大量の仕事が入ってきていた。責任感から無理したのではなかろうか。。。そして、もしかしたらと感じていた。それにしてもまだ、50代前半、あまりにも若い死である。
 思えば、私の父親も50代という若くしてあまりにも早い死を迎えた。
 そのときも、針原大水害という未曾有の水害があり、私の父親はその関係で連日連夜遅くまで仕事をしていた。その無理がたたり、早く逝くことになったのだ。そういう事を思い出してしまった。

なくなられた上司のご冥福をお祈りします。合掌